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街かど歴史資料室

西上州絵図解説

解説

【写真撮影・解説】
 群馬大学社会情報学部非常勤講師 巻島 隆氏

街かど歴史資料室(赤石幸夫室長)蔵
 縦76センチ×横82・5センチ。青(河川)、赤(街道)、黄色(村・町)の彩色が施される。四方に東西南北の文字(北を上とする)が書かれる。絵図の中身は郡、山、峠、河川、街道、村の名前が細かに書き込まれ、また城(沼田、高崎、安中、七日市に「御城」)、関所(計7カ所、施設の絵入り、但し大戸関所は記載なし)などが描かれる。絵図左下には作成者の「上州群馬郡萩原村 名主 忠蔵 印」の署名・捺印がある。
 上野国群馬郡萩原村は現在の高崎市萩原町。萩原村は総社藩領、高崎藩領、幕府領を経て、享保2年(1717)に村の3分の2が高崎藩領、残りが幕府領となり、さらに安永9年(1780)に幕府領は幕府領と旗本萩原氏領となった。村の石高は759石。絵図の「名主 忠蔵」とは八木忠蔵忠敬であり、忠蔵は三給のうちの幕府領の名主とみられる。
 八木忠蔵忠敬は浅間山噴火(天明3年〈1783〉)後の復興に関わったとされる。関東取締出役(文化2年〈1805〉設置)の命令により測量技能の点において貢献し、その功績で名字帯刀を許されたという。忠蔵の墓石によると、文化10年(1813)閏11月10日に死去。享年85(逆算すると生年は享保14年〈1729〉)。戒名は「寶珠院長翁覚眞居士」。
 絵図を大きく特色づけるのは、利根川と吾妻川を中心とした水系である。太く描かれる両河川のほか、「烏川」「蕪川」「神流川」「碓氷川」「井野川」「矢川」「三分川」「山田川」「鳴田川」「広瀬川」などの書き込みが確認できる。渡し(「ワタシ」「渡舟」と表記)の場所も記される。利根川に関しては農業用水の情報も記入される。「用水天狗岩堰」(文字南側に「滝川此用水掛高弐万七千五拾壱石余、御料私領入会村数六拾六ケ村」)、「用水桃木堰」の文字が見える。それら水系の周囲に萩原村を含む村名が事細かに列記される。
 街道は「中山道」「西牧道」「日光道」「伊勢崎道」「高崎道」「草津通」「三国道」「信州通り」の書き込みが見える。関所の場所には建物・柵の絵(2カ所「横川御関所」「御関所」と表記)がある。萩原村は南北に佐渡奉行街道が走る。絵図によると、南から北へ「玉村宿」「宿横手」「萩原」「下新田」「上新田」「小相木」「内藤宿杉田」「内藤分」「大渡り」「惣社宿御馬塚」「大久保宿」「八木原宿」「中村」を経て、「渋川宿」で三国街道と合流する。
 河川に比して山の記述は大まかである。山は山容の絵と、赤城山、榛名山、浅間山の山名が記入されている程度であり、他は「山 山 山」などと略記される。このことからも絵図が利根川を中心とした水系(用水含む)、また佐渡奉行街道沿いの村名の表記を目的に作図されたことは明らかである。絵図は恐らく2枚作成され、1枚を幕府に上納し、もう1枚を控えとしたものと思われる。吾妻川上流の未彩色の村名11カ所は後で書き加えたものあることから、赤石氏所蔵の本史料は控えの方であろう。
絵図は作成者の意図に関わらず、眺めていて興味が尽きることがない。
◆参考文献
『角川 日本地名大辞典10 群馬県』(角川書店、1988年)
                 巻島 隆(群馬大学社会情報学部元非常勤講師)

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西上州絵図
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猿田河岸、河岸問屋小泉武八郎店舗図

解説

【写真撮影・解説】
 群馬大学社会情報学部非常勤講師 巻島 隆氏

小泉武八郎店舗図
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街かど歴史資料室(赤石幸夫室長)蔵
 縦23・3センチ×横32・3センチ。銅版画。青山豊太郎編『大日本博覧図』(精行社、1892年〈明治25〉)に収められる1点。小泉武八郎は、栃木県足利郡毛野村北猿田(栃木県足利市猿田町)で営業した河岸問屋である。明治20年前後の渡良瀬川の猿田河岸(やえんだがし)の様子が描かれる。河岸(かし)とは河川の港のこと。河岸問屋とは産物の河川輸送を請け負う商人のことである。海上輸送だと廻船問屋に相当する。
 図からは小泉家敷地が河川に直接面していたことがわかる。これでは渡良瀬川の洪水で家や商業の記録(古文書)が流されてしまったのも頷ける。図の左上に富士山が望めることから、図の下が下流、即ち江戸方面に当たる。小泉家の前には帆を畳んだ帆船2艘と、山積みの梱包荷物、荷を担ぐ人足の姿が見える。木陰の下では荷馬車が停車している。小泉家の上流には帆をはらませる船3艘(1艘は豆粒ほど小さい)が見える。木橋が架かるが、橋脚の高さを考えると、下を通過する際に帆柱を一度畳んだのか。
 絵の手前に瓦葺き平屋建ての長い蔵、その西(図左半分中央)に瓦葺き切り妻造り2階建て店舗、2階建て瓦葺き土蔵が隣接する。北(図右手)に茅葺き2階建て離れ。周囲をぐるりと垣根が囲む。垣根をアーチ形にした正門がしゃれている。道を挟んで北側(図右半分)には長屋門と板塀を持つ居宅(か?)があり、土蔵4棟が立ち並んで壮観である。
 猿田河岸は北と南の両岸にあり、小泉家のある方を「北猿田河岸」と呼んだ。船(瀬取船、小鵜飼船)で遡上し得る渡良瀬川最後の河岸である。ここで船積みされた織物、木炭、砂利、竹、木材、米、酒などは下り荷として江戸へ輸送された。特に足利と桐生(群馬県桐生市)周辺で産出された織物(絹・木綿)は市(足利、桐生の市)で織物買次商(仲買商)に買い取られ、河岸問屋を経て、江戸の呉服商へと移送された。下流から運ばれる上り荷は醤油、酒、味噌、砂糖、塩、小豆、油、魚、塩辛、日用品であった。実は、この河岸からは荷物だけでなく、旅行者も同時に江戸まで運んだ。国境を隔てた桐生からも盛んに猿田河岸が使われ、桐生新町と足利町の外港とも言うべき重要な物流拠点であった。
 北猿田河岸は寛永元年(1624)に河岸問屋の早川忠兵衛家の祖先が足利・桐生の荷物を小舟5艘で古河まで輸送し、そこで大きい船に積み替えて江戸へ運んだのが最初とされる。北猿田河岸は渡良瀬左岸地域の物流拠点として発展。明治5年(1872)に南北猿田河岸の河岸問屋として小泉武八郎を含む6軒の営業が確認される。江戸時代に大きく栄えた河川輸送であるが、明治後期に鉄道とトラックに取って代わられ衰退。時代の流れを読んだ小泉武八郎は、両毛線開通の明治21年(1888)に小泉運送店を開業した。
 ◆参考文献
 手塚良徳「渡良瀬川上流の漕運―南北猿田河岸を中心に―」(『栃木県立足利高等学校 研究集録』3、1968年)、拙著『桐生新町の時代―近世在郷町の織物と社会―』(群馬出版センター、2016年)

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上州一国の図

解説

【写真撮影・解説】
 群馬大学社会情報学部非常勤講師 巻島 隆氏

街かど歴史資料室(赤石幸夫室長)蔵
 縦91・8センチ×横81・7センチ。折り畳んだ状態の表紙に「上州一國之図」、裏表紙に「文政弐年卯五月写之/佐川勘六/弥兵衛」とあります。文政2年(1819)5月に佐川勘六と弥兵衛が別の絵図から写したもののようです。恐らく絵図の特徴から、勘六と弥兵衛の2人は桐生新町の織物関係者と思われます。
 絵図は上野国山田郡桐生新町(桐生市本町、横山町)の街並みを中心に据え、上野国中央部分から下野国西端、武蔵国北端部分を範囲に描かれています。東西南北の方角が大書され、左上から右下へ渡良瀬川を、その西に利根川、東に桐生川が配されています。絵図中央の桐生新町周辺には新宿、下久方、今泉、境野などの村名、遠く西は高崎・安中、東は足利、北は上彦間、南は熊谷・深谷などが描かれています。右下には桐生を起点に「京都百十五リ」「江戸二十四リ」などと遠国13カ所、近郷21カ所の里程も記されています。
 桐生新町の歴史は天正19年(1591)ごろ荒戸村(現在の桐生市東から堤町にかけての広域的な村)の百姓により同村内に新たに町立てされた「新町」に始まります。荒戸村一帯は「新田山絹」と呼ばれる絹織物の産地として成長し、絵図に「絹市三七」(数字は市日。三と七の付く日の六斎市)とあるように取引市場の絹市(紗綾市、綾市ともいう)を牽引力に発展し、やがて桐生領の新町という意味の「桐生新町」と呼ばれるようになります。
 ただ新田山絹が京都で評判を落としたことを背景に、元文3年(1738)に京都西陣の高機(空引き機)技術が導入されました。その後も京都から渡り織工の小坂半兵衛(1762―1816)らが来桐したこともあって、先染め糸を図案に基づいて高機で製織する「先染め紋織物」を完成するに至りました。優れた図案家として石田九野(1807―61)が著名です。完成品を江戸の呉服問屋へ直接移出できるようになり、職人や奉公人が桐生新町へ移住し、天保2年(1831)に人口4107人とピークに達しました。桐生新町五丁目の織屋の吉田清助(1794―1857)のように多品種の織物を織り出し、尾張藩の御用機屋を務めるところも現れました。
 おもしろいことに絵図の「新宿」の下に「郡中/シノノメ/コハク/条ニシキ/イトヨリ物(横に「ヒモ」とルビ)」とあります。これは東雲緞子、琥珀錦であり、織物の種類を示しています。「条ニシキ」は不明ですが、恐らく条錦でしょうか。「イトヨリ物」は撚糸(ねんし)を意味します。桐生織物は高度に分業化が進み、特に天明3年(1783)、岩瀬吉兵衛(1746―1822)が八丁撚糸機を発明して以降、撚糸工程は水車を動力に屋内の同機を稼働させて糸を撚りました。だから新宿村と境野村には明治の末頃まで水車がたくさん並び、風情ある景観をつくっていました。水車は糸繰(機織りの準備工程の1つ、経糸をボビンに繰る)にも用いられ、尊皇思想家の高山彦九郎(1747―93)が安永4年(1775)に新宿村を通過した際、「家の前の小溝流る水車を以て綱を家に引はゑて糸をくる、奇異なる業なり」(「忍山湯旅の記))と記しています。また天保2年(1831)に来桐した蘭学者の渡辺崋山(1793―1841)も強い関心を抱いて、喜八の糸繰を見学しています(「毛武游記」)。これも水車を動力としたものでした。
今泉の箇所には「シマチリメン/カルサアヤ」とあります。これは縞縮緬、軽紗綾でしょう。縮緬は独特の皺が特徴的な絹織物の一種、軽紗綾は組織をやや粗目にした薄手の紗綾形(経糸と横糸の組織で綾を浮き出す)の紋織物と思われます。桐生周辺の他の村名にも織物の種類が書き込まれています。また太田金山に関して「此山ノ松茸他ニ異ナリ、風味至テ深シ、献上毎年八月」とあり、木崎宿や八木宿には「遊女アリ」などと、土地に関する特徴的な情報が記されています。
もう1つ注目されるのが桐生新町の箇所に「両飛脚出日/中(※)五九/京(※)一六」とある点です。これは江戸後期に桐生新町で出店を営業した江戸の定飛脚問屋嶋屋佐右衛門と京屋弥兵衛の荷物発送日です。両出店を合わせると計12日となります。これは流通の盛況を意味し、桐生新町の繁栄ぶりを象徴しています。飛脚問屋の宰領が織物を江戸や京都へ輸送し、現金輸送や預かり金を請け負い、また為替手形を組むなど商取引の決済にも関わりました。
絵図は情報の宝庫。貴重且つユニークな史料です。どうぞご堪能ください。

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上州一國之図
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街かど歴史資料室 平成29年第9回企画展

上州街かどかわら版展

街かどかわら版展第9回新


期間    5月12日〜6月11日まで

開館時間  午前10時〜午後3時

入館料   大人100円、小学生以下無料

休館日   5月15、16、17、18、22、23、24、25、29、30、31日

      6月 1、 5、 6、 7、 8日

更新情報はホームページに掲載致しますので、ぜひご覧下さい。
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忍山湯旅の記1024

【新着ご案内】

高山彦九郎日記「忍山湯旅の記」を廻る
・期間:平成29年3月18日(土)〜9月3日(日)
・開催場所:高山彦九郎記念館 特別展示室
・開館時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで)
・休館日:月曜日(休日の場合は翌日)
・入館料:一般100円

(問い合わせ)太田市教育委員会 歴史施設課 新田荘歴史資料館
       0276-52-2215

ウェブサイト http://www5.wind.ne.jp/hikokuro/


街かど歴史資料室 平成28年第8回企画展 10月

北方領土、サハリン、樺太展 〜古い写真が時を語る〜

北方領土_樺太展


期間    10月6日〜30日

開館時間  午前10時〜午後3時

休館日   11・12日、17・18・19日、24・25・26日

入館料   大人100円、小学生以下無料


街かど歴史資料室 平成28年ミニ企画展 7月

日光山と徳川ミニ展 

Machikado1024.jpg


期間    7月15日〜24日

開館時間  午前10時〜午後5時

休館日   7月19・20・21日

入館料   大人100円、小学生以下無料


街かど歴史資料室 平成28年第7回企画展

古写真で見る吉原遊郭と吉原炎上展

Yoshiwara1024.jpg


期間    4月29日〜5月末日まで

開館時間  午前10時〜午後5時

休館日   5月9・10・16・17・23・24・30・31日

入館料   大人100円、小学生以下無料


【街かど浮世絵展】2016年1〜3月 ご案内 <終了>

下の浮世絵をクリックしてご覧ください(pdf.ファイルで開きます)

街かど浮世絵展開催!

イベント & 新着情報

万世橋駅
堀切江戸紀行
向島花見紀行
  • 向島花見紀行
    Mokujima, The most famous cherry-blossom viewing sight in Tokyo

    2017.2.27

日比谷公園音楽堂
日比谷公園音楽堂
上野広小路
浅草橋


向島慕情


銀座通り
Nihonbashi
Kiryu_times
Kawaraban
  • 長州戦争の「かわら版」発見
    We found the Kawaraban (かわら版, literally "tile-block printing" referring to the use of clay printing blocks) distributed in the Choshu war.

    2015.4.6

Ochanomizu168.png

「お茶の水」の由来〜お茶の水橋や電車もご覧いただけます。

2015.3.31

九段坂
人車軌道
草軽電気鉄道
  • 草軽電気鉄道 「高原列車とロマンの旅」
    Kusakaru electric railway "plateau train and a romantic trip" .

    かつて軽井沢駅から北軽井沢を抜けて、草津温泉まで運航する列車が存在していたことを、皆さんはご存じでしょうか?

    今回は、その草軽電気鉄道のおもかげを辿ります。
    草軽電気鉄道2

    2014.9.4

    日光山の富くじ
  • 日光山の富くじ「興行チラシを発見」
    We discovered the flier about the lottery of NIKKOSAN.

    日光山(現在の二社一寺)が江戸時代に幕府の許可を得て実施した富興行の定書(現在の宝くじ案内チラシ)を街かど歴史資料室が発見しました。
    右の写真をクリックすると当該ページへリンクします

    2014.7.7


    多田家古文書寄贈
  • 多田家(徳島県小松島市)の古文書
    Ancient documents of the Tada family.

「街かど歴史資料室」が徳島県立文書館に寄贈・寄託いたしました。
右の写真をクリックすると当該ページへリンクします

2014.7.1

  • 富岡製糸場関連 稀少資料
    Rare data of the Tomioka silk mill.
    富岡製糸場稀少画像


    当時の工場内部や女工、さらに富岡製糸場初代場長でもあり渋沢栄一翁の師と言われる尾高藍香翁(惇忠)の資料を入手し、掲載しました。
    右の写真をクリックすると当該ページへリンクします

    2014.6.25

  • 富岡製糸場の木版画
    The wood-block print of the Tomioka silk mill.
    Tomioka_city168.gif


    富岡市から当資料室へ4月10日に調査で来訪。
    桐生タイムスへ掲載されました。
    右の写真をクリックすると当該ページへリンクします



    2014.4.26


  • 80年前の災害資料
    桐生タイムス掲載


    笠懸の「旋風」被害写真も収録
    今から80年前に群馬県を襲った台風被害をまとめた資料
    3月13日付 桐生タイムス紙に掲載されました。
    右の写真をクリックすると当該ページへリンクします

    2014.3.23


  • 今はなき東上州忍山鉱泉宿の旅
    忍山鉱泉


    とても貴重な資料を入手いたしました。
    桐生市梅田町に存在した忍山鉱泉の写真およびその解説を新たに掲載しました。
    右の写真をクリックすると当該ページへリンクします

    2014.2.26


  • プレミアム絵はがき販売開始 ♬ 完売させていただきました。
    Premium

    トップページに使用されているオリジナル絵画について、たくさんの方々より販売に関するお問合せを頂いておりましたが、このたび絵はがきとして数量限定(各300枚限定)にて販売を開始致します。

    販売金額は1枚あたり100円です

    2014.1.26


    kiryu_times.png
  • 引札錦絵展 終了しました(〜2014年1月17日まで)
    足銀桐生市場支店にて


    右の写真をクリックすると当該ページへリンクします

    2013.12.29


    借用証文_歌麿
  • 「注目の資料」として歌麿に関する興味深い資料を公開いたします(下野北関東歴史研究会 熊倉精一会長 所有)

    右の写真をクリックすると当該ページへリンクします

    2013.12.29


    NakajimaAircraft
  • 右の写真は現在の富士重工業株式会社の前身である大正時代の「中島飛行機製作所」と零戦(写真をクリックすると拡大表示されます)。



    GummaPref.
  • 群馬県のウェブサイトにも『街かど歴史資料室』の記事が掲載されております。

    右の画像をクリックすると群馬県のウェブサイトへリンクします。


    20120325
  • 上毛新聞ニュース(WEB版)にも『街かど歴史資料室』(ユニーク番付紹介)が掲載されました。2012年3月25日

    右の画像をクリックすると上毛新聞ニュースへリンクします。


    Kiryutimes
  • ウェブ桐生タイムスでも紹介されております。「埼玉県杉戸町より調査員来訪」 2011年6月10日

    右の画像をクリックするとウェブ桐生タイムスへリンクします。


    Open
  • さらに、上毛新聞ニュースへ掲載されました。2011年5月3日

    右の画像をクリックすると上毛新聞ニュースへリンクします。



銅街道

  • 銅(あかがね)街道とは?
    • 銅街道は、足尾銅山(あしおどうざん)の銅輸送の為に設けられた道路。
      足尾と利根川平塚河岸(とねがわ ひらつか かし)を結んでいたが、元禄元年(1688年)頃から利根川の前島河岸となった。

      足尾銅山が慶長15年(1610年)に発見され、銅は日光を経由して積み出されていたが、慶安元年(1648年)幕府直轄地になる。精錬された銅は、利根川の河岸から浅草蔵前の銅蔵まで舟で運搬された。

      慶安2年(1649年)に足尾銅山から利根川の河岸まで道路が整備された。街道の宿場に銅問屋が決定された。
      銅の輸送は、街道沿線59ヶ村の助郷人馬(すけごうじんば)によって行われた。
      銅問屋は、沢入(そうり)、花輪(はなわ)、桐原(きりばら)、大原(おおばら)、平塚(ひらつか)、のちに亀岡(かめおか)の6ヶ所に置かれた。
         

      (文献資料より)

      足字銭御用札1御用札2
      寛永通宝 足字銭 下野国足尾鋳造
      寛保2年(1752年)から5年間
      足尾山元に鋳銭座を開設
      御用 伊奈半左衛門
      江戸期の関東郡代

      木札:輸送用御用札(足尾御役所)
      御用 伊奈半左衛門
      江戸期の関東郡代

      木札:輸送用御用札(足尾御役所)


上州 赤城越え

  • 脇差(わきざし)について
    • 脇差は八寸(約24センチ)を脇差と言ったらしい。刀身は、短い脇差に鞘だけ長くしたものが上州長脇差と言われていた。
      戦国時代に上州箕輪城の雑兵が使い始めたと伝えられている。
      やがて、ヤクザに伝わって上州長脇差の名を高めた。


上州路捕物絵図

  • 関八州取締出役(かんはっしゅう とりしまり しゅつやく)とは?
    • 文化2年(1805年)中頃に制定実施された。
      関東八州の巡回警備、八州取締出役は武州、相州、上州、野州、常陸、房州、上総、下総の悪党たちに恐れられた存在であった。
      勘定奉行関東郡代の支配下にある代官手付、代官手代が拝命する役職で、正式には関東八州取締出役と呼ばれる。俗称は八州周り、庶民からは八州様と言われていた。


織姫神社120周年記念




桐生歴史文化資料館オープン

生人形・白瀧姫像・安本亀八作
ほか錦絵・番付など多数公開中

桐生市本町2丁目(矢野園となり)
月曜休館




会 員 募 集 !

郷土史に興味をお持ちの方、地域の史跡や寺院などを調べたり見学したり
することが好きな方など、どなたでも歓迎します。


年会費 2,000円
申込先 〒376-0022 桐生市稲荷町1番地4 桐生市立図書館内
桐生文化史談会事務局(大瀬)

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